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2024. 03 / 22 建築のこと ]

基礎配筋

この日は配筋チェックです。

基礎コンクリートが打たれると全く見えなくなってしまうのがこの鉄筋組なのですが、毎回規則正しく組まれた鉄筋の並びの見事さについ見入ってしまいます。

どこの現場でも大抵きれいな配筋なのですが、この職人さんがまた上手です。僅かなズレもありません。きちっとしています。丁寧な仕事を見るのは気持ちのいいものです。

 

こういうマニアックな視点がどれくらいの方の共感を得られるのかちょっと疑問はありますが、配筋は冒頭のようにコンクリートを打ってしまえば二度と見ることのない、かなり陰に隠れた工程です。木工事とちがってお施主さんの目に触れることも極端に少ない作業です。ゆえに今回はちょっと配筋の話をしたいと思います。

 

配筋はコンクリートの強度を上げるために入れていることはよく知られていると思います。ただ建築基準法で基礎に鉄筋の使用が定められたのは、1981年以降のことです。それ以前の基礎には鉄筋が入っていない無筋コンクリートの可能性がありますから、中古住宅を買われる際に耐震を気にされるのであれば、こうした知識があるといいと思います。

 

さて、法律で定められているのですから鉄筋の仕様・間隔などは、配筋要領というもので細かく定まっていて、グリッド状の規則性は自ずと生まれてくるものになります。この住宅では一般的な太さ13mmの鉄筋が使われています。

この線材を要領に乗っ取って必要な曲げ加工をして順番に組んでいきます。下の箇所のような少し複雑なところは、一本一本を目で追うのが難しくなるような状態にもなります。

鉄筋組は見ようによっては3Dのモデリングのようにも、私には映画「トロン」のライトサイクルが疾走するグリッドのようにも見えたりします。

 

鉄筋どうしは、結束線という針金で縛りつけて固定します。一つの住宅でも物凄い数になりますが、この手作業を職人さんはハッカーと呼ばれる工具で、まさに目にもとまらぬ速さでクルクルと結びつけていきます。コンクリート造の建物ともなれば、この作業は膨大です。当然時間もかかるし、その分人件費も掛るのでコンクリート造のコスト増の一端が判る工程です。

話がそれますが、昭和初期に軍事需要の高まりから鉄の希少性が増して、鉄の代わりに竹を用いた竹筋コンクリートなるものが存在していたそうです。どう考えても強度が格段に低いので廃れましたが、竹とは斬新・・・

 

 

ハッカー

 

写真で何本か伸びている金色の棒は、土台と基礎を固定するアンカーボルトという金物です。地震の揺れで基礎から土台がズレ落ちないようにボルト固定するための金物です。

おそらく古い建物が多かった年始の能登地震では、このアンカーボルトがないことや。当然無筋コンクリートの建物の倒壊が起きたケースもあったことと思います。重要な金物です。こちらも設置個所に規定がありますから、決まった個所に設置されています。

 

これらの配筋計画やアンカーボルト位置などはあらかじめ図面に記載されています。職人さんは図面を基に設置していき、間違いがないかを設計者や基礎の場合は瑕疵担保保険の検査員が現場においてチェックします。第三者の検査が入るので、より設計・施工ミスへのチェックが施されることとなり安全性につながっています。

 

こうして要領に定められて組まれ、規則性の美しさを見せる配筋は早ければ組み合がった翌日には、コンクリートを打って見えなくなります。一瞬で姿を消してコンクリートと一体化して強度を発現していきます。

一本一本手作業で組んでゆき結束してゆくのですから、出来上がった基礎は無機的ですが、その作業自体はとてもアナログで人間的なのが面白いと思います。

 

さて次回はコンクリート打設の工程です。

 

 

 

2024. 03 / 17 日々の暮らし ]

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最近行った展示は「坂本龍一トリビュート展」です。(3/10まででしたから会期は終わっています)

 

YMOの散開は1983年なので9歳でした。ライディーンが好きだったのをよく覚えています。でも幸宏さんの曲ですね。他の楽曲の記憶はありません。きっと私にはまだYMOは早すぎた。坂本龍一さんの楽曲を聴いたのはYMO散開と同年の「Merry Christmas Mr.Lawrence」。今まで聴いたことのない旋律でした。耳に強烈に残りました。楽曲提供した映画にはデヴィット・ボウイという謎の有名人がいることも知りました(笑) その後、中学生の時にティン・マシーンで歌っているところを始めて見て、高校生でグラムロックを掘り下げて聴いている時期にたっぷりと聴くことになりました。

 

さて、その後は兄の影響から教授のアルバムを聴くようになり、いつの間にかしっかり好きになりました。教授と幸宏さんは音楽はもとより、憧れる大人としていつも見ていました。幸宏さんの雰囲気、ファッションセンス。教授の探求的な佇まいと年を経て丸くなってからの柔和な雰囲気にそんな憧れを覚えました。遊び心を忘れないカッコいい大人として見ていました。細野さんには日本の音楽史をさかのぼるルーツの軸の人として聴き続けていました。ライ・クーダーなどを聴いたのも細野さんの影響でした。掘っても掘りつくせない人が細野さんだと思います。

 

2023年はこのご両人が亡くなった年として記憶されることになりました。それでも変わらずに楽曲を聴いています。それはこれからも変わらないことです。それが音楽の素晴らしさだと思います。

 

この展示に使われていたレコードプレーヤーが我が家の物と同じで嬉しかった(笑) 教授が使っていたわけではないでしょうけれど、なんか親近感が湧いてしまいました。

 

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