2025. 02 / 25 [ 日々の暮らし ]
坂本龍一 | 音を視る 時を聴く
坂本龍一 | 音を視る 時を聴く
東京都現代美術館は自宅から少し遠い。さらにどこの駅からも歩くから真夏には行きたくない美術館の筆頭になる。設計者の柳澤孝彦さんは公共建築を数多く設計された方で好きな建築物もあるけれど、この東京都現代美術館は何度来てもどうも馴染めない。行きたい展示でも東京都現代美術館となると腰が重くなってしまう。それでも坂本龍一の個展、大型インスタレーションとなると話は違う。清澄白河の駅からの道も期待をしながらやや速足で向かう。
駅から美術館への道順は概ね決まってくるから、それとなく美術館へ向かう人というのがわかる。混んでいると聞いていた通りにたくさんの人が美術館へ向かっている。
これはさぞかし入場で並ぶのだろうと思いきや、金曜日の午後で15分ほど待つ程度で入れた。ただ場内はなかなかの込み具合。展示自体は大型インスタレーションなので混んでいる割には見れましたし体感もできたのでよかった。行ってよかった。とても充実感がありました。
大型インスタレーションは楽しいです。スケールがもたらす没入感がたまらない。意味を問う前に感じ取ろうとする直感的な行為には「大きさ」が大切だと感じます。個人的にはZakkubalanの教授のスタジオや庭などの断片映像を映した作品が印象的でした。仕事柄もあって人が過ごした実際の空間に興味を持つのかもしれません。
nostalgia |ちょっとした郷愁
さて話が少し飛ぶのですが、美術館へ向かう大江戸線の中で、あらためて坂本さんの経歴を読んでいたらデビューは友部正人の楽曲だったとあってずいぶんと異色な組み合わせだったんだなと思う。たしかフォーク嫌いだったはずなのに。その楽曲を聴いてみるとすでになんとなく教授的な気がして面白いです。早熟で才能にあふれていたから最初から完成していたのかもしれません。
久しぶりに友部正人さんの名前と声を聴いて懐かしくなりました。20代の前半にフォークを掘り下げて聴いた時期があったのですが、そのきっかけが友部さんでした。当時の仲間内に友部さんの息子さんがいて、父親は有名なミュージシャンだというので聴いたのが入口だったんです。なんだか懐かしい思い出にしばし浸りました。
Ryuichi Sakamoto
最後の展示室はアーカイブで教授の肉筆のメモがあり、この展示で最もアナログなせいかとても心に響きました。思考の断片というのはなぜこんなに魅力的なんでしょう。作品として提示されたものとも違う魅力があります。インタビューではなく紙に書かれたメモのような備忘録のような言葉が持つ魅力にこの日一番惹きつけられました。作品も美しいですが私にはそのベースとなった思考のメモも美しく感じられました。
教授のラストアルバム「12」は日付が曲名となっていて、もしかしたら肉筆のメモにちかい楽曲なのかもしれないと思いました。このアルバム「12」を本当によく聴いています。昔の表現で言えばレコードがすり減るくらいに。ここにある音は心を静めてくれます。車で聴いていると車外の風景が止まっているような遅さを感じることがあります。まさに時を聴いているような感覚になるんです。何でそうなるかなんてわからいのですがただそう聴こえてきます。
きっとこれからもずっと聞き続けるアルバムです。大切にします。