2022. 03 / 04 [ 日々の暮らし ]
湖と人とのスケール
冬に山へ行く。と言うと登山をされない方から「すごいですね」と言われてしまう。
おそらくはどうもアイゼンにピッケル装備の本格的な雪山を想像されてしまうようで、実際は
ピッケルの要らないお手軽な雪山へ行っているので、なんだかちょっと恥ずかしくなる。
ピッケルにアイゼンで本格的雪山登山にあこがれはすれども、知れば知るほどに自分とは無縁な
気がしてくる。
そもそも基本的には寒がり・・・。
先日は、下山後に立ち寄った西湖畔のお蕎麦屋さんでの、90歳を過ぎた女将さんとの話が面白かった。
曰く、30年ほど昔に西湖を訪れた際に、直感的にここにお店を開こうと思い立ったそうで、そこから
自分の思うお店づくりに古民家で使われていた梁などを集めて、大工さんに作ってもらったという。
確かに年代物の丸太梁の小屋組みが力強く見て取れる。一方で西湖に面した窓は木製で、繊細さが
あり対照的な雰囲気で、よくある重々しい古民家の風情とはちがい、わずかながらモダンさがある。
話は続いて、なぜ西湖畔なのかという話をしてくれた。
それは『山中湖も河口湖も大きすぎる。精進湖では小さすぎる。西湖はちょうどいい。』
西湖のスケールが自分にはもっとも合っていると思って、この湖畔を選んだのだと教えてくれた。
確かに、夕暮れに対岸でたき火をする人がいる。でも顔までは見えずにシルエットだけ。
絶妙な距離感で佇まいがきれいに見える。その情景は女将さんの話に実際としての説得力を加えていた。
自身がお店を構えるのにマーケティングなどでなく、湖と自分とのスケール。そして直感的な相性で
その地を選んだことにとても共感を覚えたし、素敵な生き方だなと思った。
誰しも、利便性などが全てでないとわかっていても、そうではない選択肢を取ることには勇気がいる。
でもこの女将さんのような人は一種の清々しさのような物をまとっていて潔い。
元は東京に生まれ、諏訪で暮らし、この西湖に落ち着いたのだという身の上話はとても面白かった。
お蕎麦もとても美味しかった。でも登山終わりの空腹感としては量が少なく・・・帰路途中で肉まんを
食べたけど・・・。
女将さんは私が店を出る前に、なぜかしみじみと『やりたいように生きないとダメですよ』と言われた。
想う節がないわけでもないので、見透かされたような気持になって心がざわついた。
時々こうして、ふいをついて響く言葉に出くわすことがあって、とても不思議です。
後日また登山で山中湖を訪れた。確かに大きい。相対する自然と人とのスケールを女将さんに教わった
気がしました。